日曜日は、近所にあるキリスト教の施設「ふるさとの家」の礼拝に出かけてきました。ふるさとの家は、釜ヶ崎の中にある施設で、平日の日中は1階は60歳以上の方、2階はだれでも過ごすことのできる場所です。
朝の礼拝で、聖書の中から言葉が紹介される時間があるのですが、
今日は、主人から5億円与えられた人と、2億円与えられた人と1億円与えられた人のお話でした。
5億円与えられた人は、それを元手にさらに5億円を稼ぎ、
2億円与えられた人は、それを元手にさらに2億円を稼ぎ、
1億円与えられた人は、損をしないように地中に埋めて隠していたために1億円をそっくりそのまま主人に返した、
というお話でした。
その中で、1億円をそのまま隠していた人は、「恐れ、抑圧する人」と非難されて、1億円を取り上げられて、10億のお金をもって人に与えられてしまったのです。持っている人はさらに与えられて、持っていない人は持っているものまで取り上げられる、ということでした。
本田神父のお話では、「5億円」とされているところの原文は「5タラントン」と書かれていて、タラントンというのは大体日本の金額にすると億円くらいだろう、と、そのような訳語を当てられたそうです。
1億円を隠しておいた人は、なぜ非難されてお金を取り上げられてしまったのでしょう? せっかく損をしないようにと慎重にお金を隠しておいたのに、何がいけなかったのでしょうか。
本田神父の話では、タラントン、というのは「タレント=才能」と同じ語源なのだそうです。与えられたタラントンを生かさずに、失敗を恐れて隠していた人は「恐れ、抑圧する人」と非難され、与えられた5タラントンを生かしてさらにそれを増やした人は、「主を信じて、歩み出した人」。自分に与えてもらったものを信じて、実際に行動を始めた人こそが信仰を生きている人だ、というお話でした。
わたしは、キリスト教徒ではないので、正確に理解できたかわからないのですが、信仰にかかわらず、行動を起こすことと、失敗を恐れることについて、印象深いお話でした。
わたしがフェルデンクライス・メソッドに出会って、それを学ぶ機会を得て、これからそれをどう生かしていったらいいのか? と問われているようにも思えました。
さて。わたしたちに与えられた才能とは? 行動を起こすとは?
ちなみにこの話を聞いて、「のだめカンタービレ」というクラシック音楽の漫画があるのですが、(ドラマにもなりましたね)
一番最後のシーンで、中学生くらいの天才音楽家の男の子に、主人公ののだめが
「リュカは、普通の学校に通いたくなかった? 音楽の他にしたことはなかったの?」と尋ねるのですが、リュカは
「おじいちゃんが、僕の才能は神様に与えられたものだから、みんなのために生かしなさい、っていってた。それに結局音楽が一番好きだしね」
と答えるシーンがあって、ああ、この言葉は、聖書の話と繋がってるんだなあ、と思いました。
自分に才能があるかどうか? とか、あの人は自分よりもずっと才能がある、とかいうことについて悩んでしまいがちですが、このお話は生まれ持った才能がどのくらいか、ということよりも、それを生かすために実際の行動を起こせるかどうかが問われている、ということがポイントのように思いました。