あけましておめでとうございます。
この年末年始は、いろいろなところに行ってたくさんの人に会いましたが、その中で「もっとボディワークやったいいのに!」と思うことが多々あり、もっとやる機会や話す機会を増やしたいと思いました。
ボディワークって、自分自身の体(と心)に向き合うものですが、一方でわたしは社会そのものへの関心も持っていたい。
どっちもやったらいいと思うのです。
自分自身を大事にする方法も知っておいたほうがいいし、社会の構造的問題によって引き起こされている、生き難さ、生きづらさもあるということも考えたほうがいい。
どっちもやってバランス取りたいのだな、ということを実感した年末年始でした。
それで、フェルデンクライスメソッドの用語は、元々がヘブライ語で、それが英語(やフランス語)に訳されていて、わたしたちが使っている教材はほとんどが英語がベースになっています。
フェルデンクライス独特の用語も、英語そのままだったりするので、これをこなれた日本語にできないだろうか、ということはよく考えます。
たまたま今日読んだテキストに出てきたのが
「APROXIMATION アプロキシメーション・近似」
というものです。これはすごく面白い考え方なんですけど、「近似」っていわれてもピンとこないのです。
フェルデンクライスメソッドは動きのメソッドですが、動きの近似値とは何か、というと、例えば、
「交通事故で腕に怪我をした人に、手のひらを頭に乗せてください、と頼むと、最初のレッスンでは途中までしか上がらない。でも、次のレッスンではここまで、次のレッスンではここまで、と次第に目標に近づいていきます」
といった説明がされます。
この人は、手のひらを頭の上においてください、といわれても、最初の時はできませんが、できるところまでやる、というのがその人の動きに対する「近似」なんですね。
この人は、手のひらを頭の上においてください、といわれても、最初の時はできませんが、できるところまでやる、というのがその人の動きに対する「近似」なんですね。
あと、レッスンの中で聞いた話で面白かったのが、
小学校でやったレッスンをビデオで見ていたときに、児童の中に全く動きに参加していない男の子がいて、最初、わたしはこの男子は指示されたことをやっていない子だな、と思っていたのですが、
でも先生はその子のことを
「この子は、体は動かしていないけど、目で動きを追っている。この目の動きが、この子の「aproximation」近似値なのです」
という説明をされて、ちょっとびっくりしたのです。動きはしていないけど、目が追っている、それでOKなんですね。
つまり、なにかの動きそのものをするのが目的なのではなくて、その動きをしてください、と指示したときに、その人の中で動いているものは何か? その方向性はどうなっているのか?
がポイントになるんですね。
講師はそれを見ながらレッスンするんですよ、という話だったのですが。
講師はそれを見ながらレッスンするんですよ、という話だったのですが。
この「近似」。日本語にしたらなんなんだろうね。
「ぼちぼち」という関西弁が、結構近いかも、と思ったのですが、どうでしょうか。
「ぼちぼち」という関西弁が、結構近いかも、と思ったのですが、どうでしょうか。
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